☆人は、個人個人で性格・考え方・感情が違うことを、心のなかではちゃんと認めています。
なぜなら、人を構成する個人的な要素(性格など)を認めない意識・考え方をもっていると、個々の自由がなくなってしまい、束縛された世界ではポジティブな生き方はできないため、自分も他人も基本的には各自の個人的要素を尊重するものです。
では、なぜ子どもの個人的な要素の考慮・存在の尊重(あなたはあなただから素晴らしいという心)をせずに、兄弟姉妹で同じ育て方・接し方を行う親が存在するのでしょうか?
それは子どもをコントロールしたいからです。
人の個人的な要素である性格・考え方・価値観を考慮しない、そして存在の尊重もしない。その状況で、兄弟姉妹に同じ育て方(教育など)、接し方を画一的に行うということは、「親の価値観のなかに、子どもを閉じ込める」という意味以外ありません。
仮に、「支配的なコントロールをしてはいけない」という気持ちがあれば、人は誰であっても必ず個人の要素と、存在を尊重しようとする接し方になるものです。
子どもの個々の状況に無関心な状態で接することは、すでに支配的な家庭であるといえます。
しかし、なぜ親が「自分の価値観のなかに子どもを閉じ込めたい」という欲求を顕在意識・無意識のなかでもつのでしょうか?
それは、恐れです。
親自身が自分の「存在」「人生」「生き方」「過去」「今」「将来」「自分の本当の力」「自分の本当の器」という、自分を形成するさまざまな観点にたいしての意識が、恐れで偏っているからです。
恐れを強く患っている人は、自分が信用できません。なので自分以外の世界も当然、信用できません。
そのため、自分を信用ができない人が外の世界に支配的になり、「コントロールできる存在」「コントロールしやすい存在」を恣意的に操ろうとするのです。
しかし、「あなたは恐れている」と誰かに指摘されても、ほとんどの親は認めない・認められないでしょう。親が自分自身の恐れを見つめず、見つめないからこそ恐怖の実体が明らかにならず、ゆえに子どもは大人と違いコントロールしやすいという間違った心で、子どものパーソナリティを否定し恣意的な情報と価値観を強要させる。
親の支配的な考え方・間違った心が最大の過ちなのです。
人が、潜在的に抱えている恐怖が顕在化するという状況は、その人の生活上に大きなアクシデントが起こらなければ、気づきにくいというケースが多いのです。
内在した恐れに、親自身が気づきにくいという家庭のなかで、子どもは自分を尊重されず親の一方的な価値観に閉じこめられて、間違った考えに洗脳されている。
それが現在の家庭で起きている大きな問題です。
支配的な人、もしくは支配的な自分に気づいていない人の、正しいと主張する考えを素直に聞けますか? 大人であれば恐らく、物凄く反発するでしょう。
しかし、未熟な親は子どもの「親がいなければ生活ができない」「親を無条件で受け入れるしかできない」という弱味を逆手にとり、支配的になるのです。
支配的な考え方・間違った心、そしてコントロールの問題がなぜ最大の過ちなのか?
それは、将来的に家庭崩壊につながる元凶となっているからです。
たとえ、子どもであっても一人の偉大な魂として誠実に対応すれば、家庭は支配的にならずに調和され、家という組織の成長・成熟につながります。
しかし、親が「自分の恐れを認めない」という未熟な精神のゆえ、支配的になり、コントロールを主体とした家庭を続ければ、子どもは親に対して信頼感をなくし、家庭という組織は次第に堕落し不調和になっていきます。
もちろん、家庭の成長も成熟も無理です。 また子どもをコントロールしなければ良いという安易な考え方は論外であり、人は相手がどんな存在であっても「個人的要素を考慮する」「存在自体を尊重する」という心で接しなければ、自然と支配的になってしまう危険性があるという、強い認識も必要でしょう。
☆まとめ
兄弟姉妹で同じ育て方・接し方がすべて間違っているのではありません。
子どもに「正しい行いを教えたい」「ある特定の訓練を受けさせたい」「将来こんな大人になって欲しい」という心をもつことが、悪いわけでもありません。
また、素晴らしい教育観を兄弟姉妹に分け隔てなく同じように教える、接することがいけないわけでもありません。
大切なことは「育てる」「教える」「ある考えをもって接する」その前に、親が子どもから信頼されている状態であることと、親が子ども個人個人を尊重する。
そして、「そうしなければ、家庭は不調和になる」という姿勢が何よりも重要で、その心掛けにより、親としての人生も至福に包まれることは、いうまでもありません。
自分の恐れを素直に見つめ、子どもにたいして誠実に接することが、家庭崩壊という危険をのりこえて、安らぎのある家庭へと成長させる源となることは、間違いありません。
★嫁の感想
お腹を痛めて産んだ子どもでも、自分と全く同じ子は産まれては来ません。そして、兄弟姉妹、一卵性双生児ですら同じ人間はいません。
そのため、同じ子育てをして同じように子どもが育つことは、絶対にあり得ません。
算数が得意な子、国語が得意な子、音楽が得意な子、運動が得意な子、絵を描くのが得意な子、それぞれ個性があります。そして、不得意なことも同様、個々にあります。
それぞれの才能を考慮したうえで、教育をすすめていく必要があります。
ただし、人としての正しいモラルを教える時などは、同じように伝えなければいけません。「人の物をとってはいけない」「人を傷つけてはいない」「人をイジメてはいけない」「人に助けてもらったり、物をもらったらちゃんと感謝をする」等
本来、世の中は人と人とが助け合って生きていくものなので、不得意なことを無理やり克服する必要はないはずです。まずまず、完璧に何でもこなせる人間が存在しないのだから。
世の中の人が、得意なことをどんどん伸ばしていって、不得意なことは得意な人に助けてもらい、お互いが助け合い、感謝しながら生活が出来たら、最高に良い世界になるはずなのです。
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