【No55 自分の心に無関心な人は相手にしない】
2018年9月1日(土)
人が本気で真実の幸せな人間関係を求めたとき「心に無関心」という壁に、必ずぶつかります。
自分に自信がなかったり、心の奥の奥では自分の存在にたいして罪悪感を抱いていたり、表面意識で劣等感がでてしまったり、過去の自分を弱く感じさせるトラウマに現在も縛られていたりする人は相手が自分という存在、つまり「私」の心に関心しているのか?無関心なのか?正しい判断(識別力といいます)ができません。
その結果、騙されたり利用されたり舐められたりする人が現れるのです。
苛めの根源的原因も関心・無関心の話に集約されます。
ただ自分自身に高い次元で関心できる人が苛められることはありません。
自分を一番に大切にすることができるからです。
関心は=愛のことです。
無関心は愛がない状態、無明ということです。
自分の心・存在に「関心してくれているな、、、」と感じる人としか、幸せな人間関係はつくれません。
自分の心・存在に無関心な人を相手にしていると「そのときは良くても」いつの日かの結果は散々になってしまうのです。(衣食住の成立を根本動機とした状態で、長い間お互いの無関心さを見つめないで生きてきた夫婦関係がは実質的」に崩壊しています。)
無関心な人は相手を完全に見ていない自己に気づいていないからです。
親でも夫婦でも親戚でも友達でも、「私」という存在を見つめない・関心しない・知ろうとしない人は、愛してもらう・愛せる対象ではないのです。
内情を何も知らない世間の人は、無関心な親や子ども、親戚の人、友人と「私という存在をしっかり知ろうとしないから」という問題で縁を切れば、非難してくるでしょう。世間の人も無関心な人だからです。
「私」という心・魂・存在・価値観・気持ち・したいこと・したくないこと・考え方に無関心な人とは縁を切っても良いではなく「相手にしてはいけない」、極力、肉体を離さなければならないのです。
それは無関心な人を近づくのを許していると、あなたを真剣に関心して愛そうと思っている人がそばに寄ってこれないからです。
真剣に関心してくれる、愛してくれる人がそばに寄ってこれるまで、人間関係で幸せになれる準備をする必要があるのです。
関心する人は無関心な人に近寄れません。無関心な人の愛はとても小さくなっているからです。この世界には関心する愛をもちながらも、劣等感から無関心な人に囲まれて、最後は自身も愛をなくしてしまう人が後を絶ちません。
ですので、無関心な人を相手にしては決していけないのです。
point【見ていない人にはなにも伝わらない。】
≪今日の言葉☆本橋良太のメッセージ≫
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カウンセラー本橋良太
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