【No28 人は汚れないけれど穢れる。】
2018年8月5日(日)
人間はポタポタと汗を流し泥だらけになっても本質的な汚れることはできません。しかし身ぎれいであっても不浄な考えて行動すれば「穢れる・穢される」はあります。
表面的な汚れはお風呂にはいれば終わりです。
しかし穢れはお風呂にはいってもとれません。
たとえば、
トイレにはいると一生懸命、掃除をしてくれる人と会います。
一方で身なりは美しい人が高級ホテルで家族の悪口をいっています。
もちろん穢れているのは後者です。
穢れて幸せになった人はいません。
穢れをとるのも本当に大変な行いをしなければなりません。
穢れは特有の臭いと雰囲気があるため、不浄な人を呼び寄せるのです。
高潔・穢れは人生をどのような姿勢で生きるのか?で決まってしまうのです。
本橋良太