【快感に罪悪感をもたない。(とくに女性)】
2018年7月23日(月)
自己評価が低い人は快感を求める自分を嫌がります。
快感が怖いからです。
喜びや幸せは求められても快感は遠ざけようとします。
快感は完全に未知の世界だからです。得体の知れない雰囲気をもっているからです。
強い快感を得たとき自分はなにをすれば良いのかわかりません。
その快感にどう責任をとって良いのか想像もつきません。
だから快感が怖いのです。
「こんなに気持ち良いことして・してもらって、自分はどうすれば良いの?」と思うのです。幼いころから私たちは無責任な快感を得てはいけないと大人に教えられてきました。(とくに女性)
しかし大人のいう「いけない・NG」には人間が本質的に求めているものがあります。
実は目で見える喜びや幸せよりも、体が震えるような快感を肯定的に受けいれたほうが、自分を愛せます。愛しやすいです。快感は自己肯定感を向上させるのです。
人間は快感を死ぬまで求めるもの。
快感はいつも自分の想像以上です。
そして認識できる範囲のなかに快感はないということです。
つまりどんなに得た・これから得られるだろう予感がある快感の代価を支払わなければならないと思っていても、常に快感は自分の想像以上な体感のため、返済用の「なにか」は用意はできないのです。
しかし、自分で返済できる「なにか」がないからと快感を拒否していれば一生「不快感」な人生で終わってしまいます。
これが、つまらない人生です。
では、どうするのか?
「とある行為をして・されて」強い快感を得たら、許して、自分を受けいれることです。それだけ価値がある存在だから快感を得たのです。
そして世の中に快感を求めて生きている人を許して、認めてあげることです。
快感の代価は求める自分と他の存在を許すことなのです。
本橋良太