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【幸せの条件】 相手を変えようとしない自分への変身術

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こんにちは、カウンセラーの本橋良太です。

 

数あるサイトのなかからご覧頂き、深く感謝しております。

 

この文章は「本気で幸せになりたいのだけれど、なかなか現実が前向きに変わっていない、、、。」と悩んでいる人に向けて本気で書きました。

 

結論をいえば、あえて厳しくいえば「あなたの責任」なのですが、人には100%今の状況に「そうしざるを得ない」という誰にでもあたえられる癒しがあります。

 

その癒しを完全に認めながらも、読んで頂ければ幸いでございます。大丈夫、諦めないかぎり必ず幸せの扉は開くようになっています。お約束いたします。

 

どうすれば人が幸せに生きれるのか?を真剣に見つめたとき、まず幸せを真剣に求めている精神が素晴らしいということです。

 

真剣に幸せを探求している人は美しいし、かっこ良いと思うのです。

 

なぜなら今の現実をなんとか変えられないのか?と高い向上心をもっているからです。諦めていない姿はきっと神様も喜ぶはず。

 

ただ幸せになりたいと宣言する人のなかに「他人を変えようとしている自分に気がついていない」人がいます。

 

僕はカウンセラーとして活動させて頂いておりますので、外の世界(人・仕事・政治・社会)に執着している自己に無関心な人とよく出会います。

 

ハッキリ申し上げますと、他人を変えようとしている自分の心理に無関心な人は、なかなか幸せになれません。なぜなら外の世界に執着している間は、自分の内の世界に無関心になっているからです。

 

外の世界など、どうでも良いのです。本当は。

どうでも良いんですね。自分以外は。

 

このように話すと「自分以外はどうでも良くなると、わがままになったり不誠実な行いをしたりする人が増えていきませんか?」という疑問が現れ始めます。

 

言葉には100%、真実を伝える力がありません。そして、僕の言葉力も極・未熟ですので、なかなか難しい側面もあります。(ごめんなさい)

 

自分以外はどうでも良いという姿勢で他人を蔑ろにしてくださいといっているのではなく、外の世界を自分の写し鏡として「自分が少しでも幸せになれる工夫だけの人生にしませんか?」という提案をさせて頂いております。

 

現実が変わると楽しいです。それは自分「」変えたからです。

 

現実が変わっても自分「が」変えたのではなく他人「が」変えたのであれば、楽しくない。その変化に自分「が」関わっていないから。どこか知らない世界が変化しても、人は幸せになれない。

 

自分が何もたずさわってはいない異次元の世界だからです。異次元は酸いも甘いも体感できない。

 

【自分を見ていない時間は人生がストップしている】

 

外の世界が自分の思い通りに変わって欲しいと、なぜ、人間は思ってしまうのか?そう思っている自己に気づきにくいのか?

 

それは「自己関心」よりも「他者関心」のほうが目に入りやすく簡単だからです。

 

偉そうなことをいっている僕も、本当によく他人を変えようとしています。

僕の標的は家内ですが、気がつくと「自分の思い通りに変えようとマジ」になっているのです。

 

ガステーブルをなぜ清潔に保たないのか?

ご飯を食べたテーブルをなぜすぐにふかないのか?

なぜトイレ掃除をしないのか?

なぜお酒を飲んでソファーで寝てしまうのか?

 

外の世界にたいする「なぜ?なぜ?なぜ?」はただ思い通りにならない現実に文句をいってツバを吐いているだけなんですね。

 

幸せになりたい人が、外の世界に文句をいっているかぎり得られることはない。

頭では理解できていても、この「なぜ?なぜ?なぜ?」はなかなか人はやめられないのです。

 

ただ本気で幸せになりたいのであれば、大きな問題として外の世界に執着している間は「自分の人生は100%幸せな方向に前進していない」ということなんです。

 

もう少し厳しくいうと、

「自分の人生は真っ逆さまに地獄にいっている」ということなんです。

嫌ですよね、地獄。僕も嫌です。でも本当なんです。

 

ご飯が食べられない、戦争が起きる、大切な人と憎しみ合う、これらの問題も苦しいです。ただ僕が一番不幸だと感じている問題は「少しも変わらなかった」ことだと確信しているのです。

 

変わらない事実が地獄であり不幸。そして前向きに変わるが天国であり幸せ。

 

【理不尽を追求して見つかるものはお互い様だけ】

 

お客様にカウンセリングを施しているとき、一見は自分が変わろうとしているけれど、潜在意識化では相手を変えようとしている人がいます。お客様の深い心理にふれないと正しい判断ができないため、どうしても気づいてしまうのですね。

 

人間は二つのことが同時にできないのです。

 

自分を変えて他人を忘れる。(天国行き)

他人を変えようとして自分を忘れる。(地獄行き)

 

どちらかということです。

 

厳しいですが、自分を忘れて他人を変えようとしている自分ってダサくないですか?ということです。

 

自分がもし自分が前向きに変わることに無関心で、そんな人間性の相手から変えられたら?うれしいでしょうか?

 

そもそも人間は外の世界から自己を変えられたくないという強い気持ちをもっているのです。

 

他人を忘れて自分が少しでも魅力的な人間になれるように、もっともっと誇りをもって生きれるように、自己改革を積みかさねる人のほうが、カッコ良くないですか?ということです。

 

幸せになりたい!と宣言している人のなかにも「変わらない地獄」にはまってしまっている人がたくさんいらっしゃいます。

 

先ほどの僕の未熟な例も同じですが、

なぜ家内は僕の理想どおりに生きてくれないのか?

 

それは家内にとって僕も理想どおりの旦那ではないから当然なんですね。

もうちょっと掃除をして欲しい、もうちょっと気のきいたおつまみをつくって欲しい。しかしなぜ、家内はそうしてくれないのか?プンプンと怒るわけです。

 

外の世界に文句をいっている自己に無関心であると永遠、気づかないのですが、

家内にとって「それくらいの旦那」なんです。それが真実の評価なんです。

 

それで良いわけです。

 

今の扱いで十分幸せなら、自分はなにもしなくて良いのです。

しかし、もし今の家内のあつかいに不満を感じているのであれば「見なくてはいけない存在は家内ではなく100%自分です。」

 

100%自分が責任感です。

99.9%自分がは無責任です。0.01%から少しずつ外の世界の責任割合が増えていきます。それなら自己成長のために100%のほうが楽しい。自分がこの世界の完全たる主役だからです。

 

【この物語の主人公は誰ですか?】

 

家内に不満をいったり文句をいったりしているという自分は「もっと家庭内で幸せな自分を体感したい」という気持ちをもっているということです。

 

その気持ちを自分の成長の動機としてしまえば、他人は自分を変えるキッカケになってくれるわけです。

 

自分を変えるキッカケとは、たった一度の自分を世界を大きく広げるために絶対に不可欠なのです。

 

家内がガステーブルを清潔に保たないという嫌なことがある。

その状況を自分が変わって現実を変化させる目的で生きたとき、やるべきことは無限に見つかっていきます。

 

たとえば、家内が掃除をしているとき真剣にほめる。洗濯物をしてくれて、ありがとうと手紙で伝える。買い物のついでにバラを一本買って帰る。ちょっとおいしい新しいお酒を一緒に楽しく飲む。手鏡をふいてあげる。

 

微差かもしれませんが、前向きな変化です。

 

しかし外の世界を変えようと必死になって執着しているときは、少しもアイディアは見つかりません。

 

自分をお店の経営者として考えたときによく理解できます。お客様が来ないのをお客様の責任にしていたら、いつか潰れますよね?これと一緒なんですね。

家内が魅力的じゃない責任を家内の責任にしていたら、つぶれる。つまり人間関係が清算されてしまうということです。

 

【相手の責任を見つめると現実は後退するという恐ろしさ】

 

自分が変わるが誠実。他人を変えるは不誠実。

 

幸せになりたい人は誠実で向上心をもっていて素晴らしい人がたくさんいらっしゃいます。

 

そんな人が絶対に確実に幸せを手にするためには、外の世界の変わらなくても良いという自己すら無視してもかまわないということです。

 

「自分ががんばるから」・「自分が変わってもっともっと成長するから」・「外の世界は見ていないよ」という、表面の意識でとらえられる自己の前向きな心理は無関心でも良いのです。

 

一番重要なことは「実は自分の心のなかには、他人を変えようとしている自己が眠っている」という自分を深く知ろうとする自己関心なのです。

 

これは意識の話です。

 

自分を深く知ろうとしないで現れる心理はあまり役立ちません。それよりも「本当の本当の本当はそれですか?」と深く内向しなければ感じられない真実の自己を見いだすほうが、現実を変化させられる心理であることは間違いありません。

 

他人はどうでも良い。大切なことは深い自己関心による「自分の変化を促すこと」なんですね。

 

お読み頂き誠にありがとうございました。

 

本橋良太