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もくじ
あなたは何ひとつ悪くなかった、本当に悪くなかったのです
毒親と生きて幸せになった人はいません。
自身を省みる姿勢が消滅した毒親は子どもの人生を破壊し破滅させ、間接的に命を奪っても真実の意味では全く気にしていません。それどころか次の獲物を狙っているくらいです。
完全たる未熟の肯定をし続ける毒親に子どもは殺されます。
たった一度の人生を奪われないために、幸せにするために「今」から気づくべきことを中心に紹介させて頂きます。
なぜ毒親と離れなければならないのか?
毒親は子どもの人生を破壊します。
人として一番大事な自己尊重を巧みな方法で奪うからです。
自分を尊重するというも最も大切な心がけを失った子どもは、哀れな生き方を脱却することが困難になるのです。
毒親は、子どものエネルギーを奪っても奪いつくしても「足りない、足りない」と被害者で生きる自分を死ぬまで改めません。その姿は地獄絵図で表現される餓鬼そのものです。
生きる力を奪われたまま厳しい社会にでた子どもの行きつく先は幸せでしょうか?
それは無理なお話です。
自分を誇れない人はやっと出会えた大切な人と愛のあるコミュニケーションはできません。仕事の人間関係や親子関係、夫婦関係で健全な関係を維持することがとても難しいからです。
日常生活を支えあう人間関係をつくることができなければ、人は孤立してしまいます。
幼少期のころから安心感を与えてくれない親に関心がいってしまい、「自分自身を愛してあげる」という大切な自己ケアができない人は、コミュニケーションの土台となる自己評価が育たないのです。
本来であれば親の役目には「あなたはあなたのままで良いのよ」という安心感を与える仕事があります。
しかし毒親は安心感を与えず、子どもが自信をもとうとすればその自信を奪いコントロールをするのです。
悲惨な問題は、大人になっても毒親から支配をされていたり精神的なゴミ箱のような扱い(無責任な批判・否定・不誠実に慰めを求めてくるなど)をされている人が存在していることです。子どもは純真のため親の毒をなかなか見抜くことができません。
毒親性の毒の中身は完全なる無関心です。
子どもがいくら親を愛していても、その愛を受けとる能力が親になければ気持が成就することはありません。むしろ「そんなに想ってくれるのであれば、なにかして欲しい」と都合良く使われれしまうのがオチです。
愛は能力です。能力は生まれたときからあるものではなく、自分で努力して磨くものなのです。
お父さん、お母さんの毎日を思い出してください。
愛を増やす日常的な努力をしていましたか?
お父さん、お母さんは自分自身が人として優しくない・愛がないと悩んでいましたか?
悩んでいるフシはありましたか?
自己成長を求めない人間に期待をすることはできないのです。
自分自身の無関心さに気づけない親の人生を大人になった子どもが背負えば、人生は破壊され心は殺されます。
実際に自己評価がとても低くなり、劣等感が過度に高くなった人は自殺・他殺・大きな事件などの影が濃くなります。
毒親とは離れなければならない理由はたくさん存在しているのです。
自分が悪い、努力不足と思う必要はない
「親が大嫌い、死ぬほど嫌だ、死んじゃえばいい」このような言葉を世間の人にいえば、高い確率で非難をされるでしょう。
本来は、なにもおかしくありません。
生まれたときから「あなたはあなたのままで良いんだよ」と愛に包まれて生きてきた人が親の生命までを否定することはあり得ないからです。
逆に「あなたはあなたのままではいけない」という実際の言葉・態度・表情・考え方で自分を曲げるように圧迫されたら誰であっても、そのような存在を否定したくなるのは当たり前です。
とても大切なことなので強調していわさて頂きます。
もし「親をぶっ殺したい」と思っても当たり前です。
このようなネガティブな感情をもった子どもは自分を責めます。
でも責めないで欲しいのです。
なぜなら、そう思われても仕方がないことを親にされてきたからです。
当然の気持です。
なにひとつ、あなたは悪くなかった。
悪いのは「殺したい」まで心を追いこんだ親であり大人の責任なのです。
子どもに責任は100%ありません。
心の傷は他人の評価されることではありません。他人は人のすべてを知らないからです。自分自身が親を殺したいほど傷ついたと思っていれば、それが真実なのです。
「そんなの甘いよ」「それくらい普通だよ」「努力不足だね」
などの言葉に耳を貸す必要はありません。
「私」という人生の主人公は私です。
その私が感じたことを否定していれば、いつしか私がいなくなってしまう。
毒親に自己尊重を奪われたり、自己評価を下がられ劣等感を強くもつという問題は、たった一度の人生から「私」を消してしまう闇の力をもっているのです。
毒親は「自分が悪いかも、、、」という子どもの心理を巧みに利用して、罪悪感をもたせコントロールする存在です。
弱みにつけこまれてはいけないのです。
毒親に殺されるとはどんなことか?
子どもが毒親に関心している状態(愛されたい・愛したい)で毒親は子どもの心の状態に無関心。
この関係を継続しているかぎり、子どもの精神的エネルギー・時間・お金(場合により)は毒親に吸収され続けます。
毒親は決して満足することはありません。
最初から満足する気持をもっていないからです。
満足をするという意味は毒親にとって「もう貰えない」となってしまうので、不満をいい続ける必要があるのです。
子どもが毒親に関心している生活をおくると「人生の問題・不安を見つけては対処・対応を迫ってくる」という行いの繰り返しの被害を受けます。
本来であれば人生の問題は自分自身で乗りこえる必要があります。
しかし子どもの心に無関心な毒親は、無関心なゆえ子どもに自分で解決しなければならないことを背負わせようとするのです。
(注:毒親は強いフリはしますが真実はとても弱い存在なのです。苦手な分野は個々に違うものの、嫌なこと・受け入れたくないことを自身の弱さ・甲斐性のなさから、依存している子どもに背負わせることが毒親の共通の特徴といえます。)
「人生の問題・不安を見つけては対処・対応を迫ってくる」という行いを日常的にされた子どもは自分の人生を進めることができません。
当然といえば当然です。
人間は一人分の人生しか背負えないにもかかわらず背負わせようとする毒親がいるからです。
子どもに無関心な毒親は人生にやってくる困難を一緒に乗りこえる気持はありません。
背負わせることだけしか考えないのです。
このような毒親と交流をしていれば精神的エネルギー・時間・お金(場合により)はぼう大に奪われていきます。
その結果
- 自分のやるべきことができない。
- 結婚している人は大切な配偶者、子どもに集中できない。
- ネガティブ要素(お金・病気・仕事の問題)の解決ができない
- ポジティブ要素(将来の希望・家庭の調和・健康・お金・趣味)の促進ができない
このような題により、人生が後退します。
人生の後退は自暴自棄とつながる問題となり、毒親に殺されるとは未来を奪われ生きる希望を失い、今の生活に非常に高い確率で自暴自棄がやってくるということです。
毒親のずるさに気づかず、つけこまれる子どもたち
ずるい人間と関係をもって幸せになった人は存在しません。
毒親は狡猾に逃げる存在なのです。
自分の苦手な問題・心の弱さや器が外に出てしまう危険を感じたときは必ず逃げます。
自分の都合の良いことは受けいれて、都合が悪くなると逃げてしまう親にたいして本心から納得できる子どもはいません。
しかし、親からの愛を渇望している子どもや劣等感を強くあたえられた子どもは、毒親のずるさを受けいれてしまう、もしくは気づかないのです。
当然ですが、親であってもずるさを容認した形でつきあっていれば誠実に生きる気力を失っていきます。
子どもの毒親にたいしての「納得できない」という気持ちは「親が自分の実力を試されるような問題にたいしてはスルスルと逃げたり、責任転嫁をしたりしているのに、表面的にはずるい人間ではないと完全に装っている。
しかし装ってはいない顔で普通に生きている」ではないでしょうか?
そして、実際に修羅場(自分の真を問われるようなトラブル)に直面すると本当に子どもの責任にしたり、弱い存在に責任転嫁して逃げてしまう。
この毒親のずるさはそばにいた人の心と人生を破壊します。 対処としてはどんなに小さなずるさでも決して無視しないことです。
ひとつひとつのずるさを毒親に指摘する行動がとても大切になります。
毒親とは人格障害の一つですので、無意識に「自分のずるさに気づかない人間なのか?許してくれる人間なのか?」をチェックしています。
もし、ずるさを指摘され是正を求められれば「無責任な状態でなにかしらの成果を得る」という行いが不可能になってしまうので、不誠実な心理で人を注意深く見定めているのです。
不誠実な言い訳を許さず、なれ合いで問題を誤魔化さず、可能な限り現行犯で指摘することにより毒親のずるさと力は弱まっていきます。
毒親に「親から愛されたい」という気持ちを逆手にとられ、ずるさを引き受ける人間になったり、不誠実な否定や非難の被害をされたりしている人間が幸せになれるわけがありません。
闘うことは怖いかもしれません。
しかし、ずるい毒親が子どもにつけこめる理由はまさに子どもがもつ恐怖を理由にしているのです。
生きているだけなのに罪悪感をもった「私」をどう克服するのか?
自分の存在にたいして「罪悪感」をもっている人は、心にガンを患っているような状態で生きているのです。
罪悪感は常に欠乏感・焦燥感・劣等感・さびしい気持ち・怒り・憎しみを意識・無意識に感じさせ、私たちの心の平和をいとも簡単に奪っていきます。
ただ生きているだけなのに、息をしているだけなのに自分が苦しいという心理は大人からの「あなたはあなたのままではいけない」という徹底的な洗脳により患ってしまう悲惨な問題といえます。
この罪悪感はたった一度の人生を希望を破壊します。
生まれたときから存在している罪悪感をもたされて、人生をどう快活に生きていけば良いのでしょうか?
忘れてはいけないことは、罪悪感をもたす人間は闇であるということです。
とてもシンプルな話です。
希望をあたえて「あなたはあなたのまま良い」という自己を尊重させる育て方にしてしまえば、子どもが親の力・器を超えたときコントロールが不可能になります。
毒親が勝手にイメージしていた老後が崩される危険があります。ですので毒親は管理できないことをとても恐れるのです。
不安をあたえ「あなたはあなたのまま生きると、将来大変なことになる」という自己に罪悪感・恐怖をもたせるように育てれば、子どもは自信がなくなり劣等感をかかえます。
自分を誇りに思えなければ力を失い、子どもが毒親のコントロールや支配を甘んじて受けいれる確立は高くなります。
罪悪感をもたせる育て方をする毒親は自分の自信のなさ・恐怖から子どもを闇にひきずりこんでいるのです。
あなたがあなたを苦しいと思う原因を探せば、もちろん自分の責任も見つかることでしょう。
しかし、それは子どもから大人になる間で誰もが経験しなければならない当然の問題、登竜門といえます。
毒親にもたされた罪悪感は虚像です。
「今」すぐにでも捨てる必要がある呪いといえるのです。
最後に
本来、背負う必要のない問題を背負って生きる人生に輝きはありません。
まず自分の荷物だけを確実に愛をもって背負う生き方が「今」求められていることです。
毒親の問題で不幸にならないために少しずつ今から人生を進めていきましょう。
諦めないかぎり必ず道は開けます。
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