条件つきでしか認めてくれない、受けいれてくれない毒親に育てられた子どもは、自分や自分以外の世界を「そのまんまの状態で受けいれることができない大人」に成長していきます。
それは、地獄のような世界で生きるということです。
「そのまんま」を受けいれられない人は、自分の率直な感情・思考・行動を認められず、24時間365日自己否定をし続けてしまうからです。
条件つき愛情の中で育った人は、常に精神状態が「生まれたまんまの自分」を完全否定しているので、当然、自分以外の世界も『そのまんま』では納得できません。
なにかの枠に入る自分でなければ自分自身を認めない、自分以外の存在も当然認められない。この考えで幸せになれる人は一人も存在しません。
では条件つきでしか存在を認められなかった子どもが、大人になってから社会に適合することは可能なのでしょうか?
『適合』という観点のみで考えれば、可能です。
しかし、それはその人の「そのまんま」を否定し、条件つきでしか受けいれない社会には適合できるという意味です。
ただし、「あなたのそのまんまでは、生きていてはいけない!」という存在を否定する社会に適合したからといっても、人は幸福を感じることはできません。
社会に求められるがまま自分を変化させる生き方に、安らぎやゆとりが生まれることは絶対にむりなのです。
もちろん、すべての会社や組織、コミュニティが条件つきで人を受けいれるわけではありません。
しかし、『条件つきの愛情』という環境のなかで育った人は、誠実な組織に入れたとしても違和感を感じて出ていってしまうか、問題を起こしてしまい善良な人たちと自らつながりを断ってしまう人も多いのです。
つまり条件つきで育てられた子どもは、社会に出ても親から教わった生き方でしかいきられないため、条件付きの社会に自ら適合させてしまい、誠実な社会からは離れていってしまうという悲惨な結末を迎えてしまうのです。
また、絶対的な評価(あなたはあなただから素晴らしい)という評価よりも、相対的な評価(あなたとあの人、どちらが優れているのか?)という世界で生きることがほとんどです。
相対的評価とは、まさに地獄です。
常に自分を誰かと比べて劣等感をもったり、優越感をもったりと一切のゆとりを許されない世界だからです。
しかし現実的を考えると、現在の社会は生まれて死ぬまで、ほとんどの人が比べることを強要された世界で生きているといえるでしょう。ある種、仕方のない状態ともいえます。
条件つきでしか認めない世界、常に誰かと比べて安らぎを感じられない世界で、たった一回の大事な人生を不幸せな形で終わらせるわけにはいきません。
では、どうすれば毒親に「そのまんまではいけない」と自我を曲げられ、「そのまんま」の自分を否定する精神状態のなか、比較する地獄の世界で生きることが当たり前となった自分自身をやめるのか?
それは絶対に自分を責めないと誓うことです。
何一つ、自分に罪はなかった。
これからの人生は寝ても覚めても、24時間365日知覚できる自分も、知覚できない自分もふくめて、決して自分を責めないと自分の魂に誓うことです。
最初はうまくいきません。それどころか、無意識に「責めている自分」に気づくことがなかなかできません。
やっと気づけるようになったとしても、今までの慣習から責めない自分に違和感を感じてしまう状態に陥ってしまうことも多々あります。
それでも決して責めてはいけません。責めたくなる自分も責めてはいけません。
完全に自分を責めないでいられるようになったとき、最後に残ったのが「そのまんまの自分」です。
「そのまんま」だけではなく、責めない実践のすえ気がつけば「そのままの自分を許し、そしてそのまんまの自分を愛してる」といった意識が芽生えているのです。
そのまんまの自分を愛し始めた人の人生が、再び暗闇に隠れることはありません。
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