本橋良太です
哲学シリーズ 家庭問題 主に親子や夫婦の関係について、簡潔にまとめました
~無責任に「かまって欲しい親」が家庭を不幸にする理由~
かまって欲しいという想いが、すべて悪いのではありません。
問題なのは、素直に「かまって欲しい」という気持ちを伝えられず、無責任な姿勢で家族から関心や権利を得ようとする大人のやり方が良くないのです。
なぜなら、そのような大人は欲求に歯止めをつけられないからです。 権利と義務は表裏一体、欲求すれば当然、義務が生じます。しかし、無責任な姿勢で「かまって欲しい」心理になってしまう大人は、権利は主張しても義務を果たそうとしません。
スーパーで大根が欲しければ、代金(権利)を払う必要(義務)があるります。大根をもらって、代金を支払わなければ犯罪です。
しかし、かまって欲しい(権利)だけの大人は、家族にたいしての代価(義務)を放棄してます。そして甘えられる関係を維持して、自分だけは極力何もしなくても許される状況へと意識的だったり、無意識でも家族を誘導していくのです。
義務を果たすことなく「自分にとってプラスになる何か」を、家庭のなかで手に入れることが当たり前となってしまった大人は、いつの日か子どもの権利に無関心になります。そして、自分の無責任な生活を維持するために、誰かが犠牲者(権利は認められず義務のみの人)にしないと得られないからと知っているのです。
立場の弱い人や、子どもの権利に大人が無関心になったとき、家庭に少しずつ不幸の種がまかれています。
では、「かまって欲しい」心理をどう解決するのか?
『自分』で勉強して、『自分』が真剣に考えて、答えを出す以外ありません。『誰か』ではなく『自分』でが、キーワードになります。「かまって欲しい」心理に毒されている人の頭のなかは、常に自分ではなく『誰か』になのです。
最後に、無責任にかまって欲しい親は、毒親でもあります。
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