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家庭問題の解決エッセンス 3 【毒親から逃げられないとき、どうするのか?】

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毒親と一緒に暮らしていたり、別々で暮らしていても日常的に交流を続けている限り、子どもは絶対に幸せになることはありません。

 

なぜなら、毒親は子どものエネルギーを奪い、自身の心を安定さながら生きているからです。 毒親にとって心の安定が崩れてしまう状況は、劣等感と直面してしまう現実にさらされる危険性があるため、なんとか回避したいのです。

たとえば、子どもに「どうしようもない子」「ダメな子」といっていれば、毒親自身の「どうしもない部分」「ダメな部分」を意識しなくても済むという訳です。

 

子どもを支配的(直接・間接)に抑圧することで、心の安定を手に入れ、自分の未熟さ、愚かさを、直視しない人生を送っているのが『毒親』という心理です。

 

自分の心を落ちつかせるためには、「不幸は私の責任ではなく、すべては誰かの責任」という愚かな感情を吐きだすのに、精神的なゴミ箱になってくれる弱い存在が必要であり、子どもを手放すことができず独立させられないのです。この状況は、生贄と同じ意味をもちます。

また、支配的な抑圧は暴力よりも重罪であるという意識を、子どもに植えつけ自らを去勢させ、献身さを求める毒親が多いのです。将来、力では敵わなくなると知っているからです。

 

直接的な否定や悪口、自尊心を傷つける言葉・態度などを子どもにあたえて、自己評価を下げさせる毒親もいれば、間接的に嫌な表情を見せたり、世間をつかって評価を落としたりと、さまざまな方法を使って子どもの力を奪います。

「ただ生きているだけではいけない」「あなたのままでは価値がない」という洗脳をすれば権利を主張しないで、献身さを提供する都合の良い子に育ってくれるからです。そのため、幼いころから力を奪われ洗脳され続けた子どもが、毒親から逃げられないという心理になったり、離れることを恐れたりするのは当然なことなのです。

 

そして、毒親という心理に限っては、愛は介在する余地をもちません。

では、「毒親から逃げられないとき、どうするのか? 」

 

  • 親から満足できるほどの心ある関心・やさしさ・愛をもらえなかった現実を受けいれ、そして断念すること。

    なぜ、断念する必要性があるのか? 

    子どもは、どんな親でも無条件で愛そうとする純粋さをもっているからです。この純粋さを毒親は逆手にとり、利用して子どもの献身さを引き出そうとします。親からの愛を断念できていない子どもの心を、毒親は簡単に見透かしているからです。

  • 毒親から解放される日のために、少しずつ「今」から準備をすることです。
    「今」逃げることは100%不可能でも、「これからのため」に0.001%の準備はできるはず。

 

怖いですか? とても無理だと思いますか? 

もし、そのような感情になっても自分を責める必要は、まったくありません。 でも、自分の胸に手をあてて欲しいのです。ドキドキと力強く心臓が鳴っているはずです。

 

その心臓は、毒親にすべてを搾取されている状況を望んでいるでしょうか? 

 

もっと、自分らしく生きて欲しいと懇願しているのではないでしょうか?

 

外に出て、空気を肌で感じてみてください。空気のなかにある自分を優しく思ってくれているような存在は、「あなたのままでいてはいけない」という脅迫してくる毒親に、支配されていて良いといっているでしょうか?

 

本来、毒親はとても弱いのです。 弱いから毒親になったのです。その実態は、どうしようもないほど無力であり、愛を表現する努力よりも弱い存在から愛を奪おうとする、愚かな人間なだけだったのです。

 

毒親から逃げられない人は、幼いころから支配されていたたために、自分の力が外に出ていないだけなのです。

本当は逃げられないのではなく、自分は逃げることができないと信じきっているだけなのです。

 

「今」から少しずつ、少しずつ準備をしましょう。

初めは、お箸1本準備できれば良い。その次はハンカチ1枚。その次は靴を1足。 毒親から解放され、自立する日のために、ちょっとずつ準備することで希望が心にあらわれていきます。

物でなくてもかまいません。解放するための日記でもいいのです。

 

希望を捨てずに日々「小さな準備」をするなかで、毒親に気づかれて嫌な思いをさせられることもあるかもしれません。しかし、希望をもった人間は必ず次の扉という権利が与えられています。その権利を奪える存在は世界に一人もいないのです。

 

★本橋良太の経験からの気づき★

毒親との交流はとても辛いので、苦しんでいる人は早く解放されたい一心から、さまざまな「方法」を模索します。

ただし、「方法」の前に「気づき」の方が重要なのです。「方法」は千差万別、状況も性格も年齢も、なにもかも違うからです。

しかし、「気づき」はすべての人を昇華させる知性なのです。毒親にたいしての気づきを得て、その次に具体的な方法を模索するのです。

 

私、本橋良太の毒親にたいする気づきは、「この親と付き合う限り、私も妻も息子も壮絶な不幸から100%避けられない」でした。

 

 

多くの毒親で悩んでいる方が、少しでも心が楽に。そして、輝かしい未来が開けることを祈って

 

ご覧いただきありがとうございます