家庭問題の解決エッセンス 2 【家族が家庭に対して無関心な問題をどう克服するのか?】

 

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誰もが安らぎのある家庭を求めます。

現状は、誰もが安らぎのある家庭で暮らしているわけではありません。 原因はさまざまですが、家族が家庭にたいして無関心という心の病気を患っていることが、大きな原因の一つとしてあげられます。

 

家庭にたいして『無関心』って一体どんなことでしょうか?  

 

それは、必要な場所、必要なときに、必要な栄養素を足さないといけない、という気づかいや意識が無いこと。

また、家庭は「衣食住が整っていれば、勝手に平安になり育っていく」という安易な認識もふくみます。

 

家庭の崩壊という誰もが望まない問題からしても、家庭とは最もエネルギーが必要な場所であります。たとえエネルギーを潤沢に与えたとしても、壊れる可能性はゼロではないため、強い覚悟も必要です。

 

 

しかし、家族の一人一人が家庭にたいして無関心であれば、結果は見るまでもありません。

 

たとえば、世の中の家庭をもっている人に「あなたは家庭を幸せにしたいですか?」と聞いたとします。

ほとんどの人が「幸せにしたい」と答えるでしょう。もちろん、「幸せにしたい」と言った人は、家庭にたいして無関心であるという評価はできません。

 

では、無関心ではないのにも関わらず、安らぎのある家庭で暮らしている人が少ないのはなぜでしょうか? 

それは、家庭にたいして『無関心で生きているという本音に、目を背けている人』が存在しているからです。

 

「あなたは家庭を幸せにしたいですか?」と軽く聞けば、「幸せにしたい」というベターな答えが出てきます。むしろ「幸せにしたくない」など、通常は答えません。

でも「あなたは本当に、嘘偽りなく自分の魂に誓って家庭を幸せにしたいですか?」と深く聞かれれば、少し変化が起きるかもしれません。

さらに、もっと深く「あなたは家庭を幸せにしたいといいましたが、日常でどんな努力を具体的していますか?」と聞かれれば、本当は無関心だった自分自身の心に背を向けていた人は、困ってしまうでしょう。

 

関心的な動機をもとにした行為に、具体性がないということはあり得ないからです。

 

家庭にたいして、無関心さを解放するためのポイントはココなのです。

自分の心(潜在意識)のなかに存在している、家庭に対しての無関心さを素直に認めて受けいれ顕在化させることが、無関心を克服する第一ステップになります。

 

自分で自分の心に気づかない・目を背けている人は、本当の行動ができなくなります。 

安らぎのある家庭をつくるうえで、心と心の絆は不可欠ですが、表面的な言葉やテクニック、自分の深い部分でのメンタルを誤魔化したコミュニケーションでは無理なのです。

ウソの優しさも、ウソの気づかいも、ウソの素直さも、ウソの勤勉さも、ウソの誠実さも、一切表面的なモノは通用しないのです。本人がウソだと気づいていないとしても。家庭には本当のモノしか100%通用しないため、家庭の絆の土台にはなり得ません。

 

そして、「家庭を幸せにしたい」と表面では答えても、その人が本当に幸せでなければ、たとえ家族であっても心から「幸せにしたい」と思うことはできないのです。

ただし、「思っている」と勘違いすることはできます。

 

真実は、一度たりとも「家族を心から幸せにしたい」と思ったことはないにもかかわらず、日常的な生活(衣食住・とくに経済的な理由)に支障があるからと、自分の心を偽って家族として暮らし続ける毎日。(本当は真剣に奉仕する気もなく、表面上だけ気にかけてるだけ。)

このように、自分の本音と向き合わず、ウソをウソではないと誤魔化していれば、いつしか自分の心にたいして過度に無関心になり、家庭にたいしても無関心である状態が、当たり前になっていきます。

 

人は、自分の心を無視しているのに、外の世界に関心的という意識をつくることはできないのです。 この精神状態が、家庭を崩壊へとすすめる無関心さの本質です。

 

無関心なわけがないと自身を振り返ることはせず、無関心さを増悪させた家族は、さまざまな問題を起こすようになり、家庭が不調和になっていきます。

無関心さに気づかないため、家庭で大きな問題が起きたとしても、自分の責任とは考えない人間性が低い人の集団へと変貌していきます。

 

家族がこのように変貌してしまえば、安らぎのある家庭とはほど遠くなっていくでしょう。 もし、本気で家庭を安らぎの場所として、成長させたいと真剣に願うのであれば、家庭に関わることは全方向で気をつかう、考えるという精神が必要になります。

もちろん、自己・他者にたいする無関心な心を見つめ直すのが大前提です。

 

これは例ですが、自分がお店の経営者だとします。

お店は、お客さんが来なければつぶれてしまいます。スタッフを雇うとなれば、育てる必要性もありますし、自分が誠実に対応しなければお客さんもスタッフも離れていくでしょう。また、商品にたいしても誠意をこめなければいけませんし、支払いなどの問題や店舗の掃除や整頓などの問題もあるでしょう。

しかし、お店をつくった経営者(自分)が、お店にたいして無関心で成立するのでしょうか? おそらく、すぐに倒産すると考えると思います。

 

お店の話では納得できますが、家庭となると別と認識する大人はとても多いのです。

家庭も会社も、人が集まった組織です。無関心な人が集まれば衰退していき、組織の存亡にたいして関心的な人が集まれば、繁栄する可能性が高まることは当然なのです。

 

そして、無関心さにたいしては「誰かが」という他人に依存した精神では、克服できません。すべては「自分から」です。たとえ誰も動かなかったとしても。

 

無関心という病魔の処置は、「今」自分が始めなければならないことなのです。未来の家庭で微笑んでいる、自分と大切な人のために。