群れて至福を得た人間は存在しない。
なぜでしょうか?
それは無意識にある自分自身の根源的な弱さに気づいている人が、群れるからです。
でも、過度に悲観する必要性はないです。 世の中のシステムは群れるようにつくられていますし(特に学校、等々)、 ほとんどの人が群れて生きているからです。
しかし、群れる習性を放置してしまうと、なに一つ良いことはありません。 ココからが将来にたいして重要な岐路と断言できます。
人の幸福、至福は心で感じるものです。
根源的な弱さを自覚している人は恐れを抱いているため、 どんなに恵まれた状況であっても、純度の高い幸福感は決して得られないのです。 科学的にいうと、セロトニンの分泌が恐れにより妨げられている状況。 また、群れてしまえば支配したい人にとっては好都合で管理しやすいメリットもあるでしょう。
群れる特徴はいつだって「なんとなく」です。
- なんとなく、一緒に遊ぶ。
- なんとなく、断れないから参加する。
- なんとなく、時間を共有する。
目的意識の不在、責任の所在もない状況で時間を共有している限り、 本質的な満足や幸福感は得られることはないのです。 つねに群れることを習慣にしている人にとって、 その群れから外に出ることは、非常に危機感を覚えることでもあります。
たとえば、毎年お正月になると親戚が集まる日(参加することが常識)に行かないなどです。 このようなときに心からでてくるネガティブな恐れが、 まさしく群れて安住に生きたい弱さが、危機感をだして出現するのです。
参加することが悪いことではなく、問題は自分と同じレベルにいる存在と群れて、 安心感を得ようとしている依存体質のメンタルなのです。
独りになることです。
山にこもる仙人のことではなく、現状の世界に生きながらも、 自分自身と常に対話をする独りの空間を手にすることです。
大切な人から疎んじられての孤立ではなく、 大切な人をしっかり守りながら孤独で生きる力が、群れる弱さを克服し、 幸せ→幸福→至福に到達するのです。
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